お侍様 小劇場

    “孤独な夢は もう見ない” (お侍 番外編 93)
 

      



 とんでもない長雨が続く今年の梅雨だが、いくら何でも さすがにそろそろ潮時ということか、ようやっとの梅雨明けが沖縄で発表されたとか。大気の湿度は重いままだが、広範囲で水害が出ている西日本に比べれば、幸いなことに陽が射し続けており。蒸し暑いとは言っても しのげないそれじゃあないのは有り難い。今日はお昼からの道場練習ということで、胃にもたれないようにという配慮、玉子とレタスとシラスのチャーハンで昼食をとらせた久蔵殿と共に、ぼちぼちという調子で七郎次がやって来たのが駅前に通じる通り沿いの商店街だ。JRに乗って学校へ向かう次男坊を見送りがてら、帰りに買い物をしていこうという段取りであり。朝のうちは“衝撃の事実”に打ちのめされて すっかりしょげていたけれど、それではいかんと思い直したか。まだ辛うじて涼しい風の吹く中、新緑を背景に今は真っ直ぐ前を向いている彼の横顔は、冴えた双眸といい、意志の強さを滲ませてきゅうと引きしまった口許といい、それはそれはすっきりとしていて凛々しいばかり。いつも通りの彼に戻ってくれたと、何ともホッとし安堵から胸を撫で下ろした七郎次であり、

 “今夜は久蔵殿の好物ばかりを並べましょうかね。”

 そろそろ旬のナスは、しょうが風味の煮びたしにしても、豚ミンチの挟み揚げにしても美味しいと喜んで食べてくれてたなぁ。鷄のじぶ煮もお好きだけれど、張りのあるピーマンとタケノコに牛肉を細切りにして炒めたのへ、オイスターソースを利かせて青淑肉絲ってのもいいかな? 旬のタコをじっくりと軟らかく甘辛に煮たのもご飯には合うよなぁ。カツオのたたきより、アジやサバの塩焼きの方がお好きだったっけね。トウモロコシもそろそろ出頃か。そうそう、薄づき衣がカリカリ・サクリと香ばしい、クリームコロッケもお好きだったよね。ああでも、あんまり これ見よがしにそういうメニューばかりで固めると、気を遣われてるなぁって却って意識させちゃうかも知れないかな? 駅の改札口前から引き返して来たその視野の中、駅前の大通りに比すればさすがにちょっぴり間口の狭い通りに沿って店々が向かい合う、通い馴れた商店街が見えて来たのへ連動するようにして、そりゃあ様々な夕餉のお品書きが、七郎次の脳裏へと浮かび始める。時折 ただならぬ事態が襲い来る、微妙に風変わりな家庭じゃああるけれど。特異な生まれも背景も何するものぞ、家人それぞれが互いに抱く想いや絆の強さと温かさでは、どこのお宅にもそうは負けぬと胸を張れちゃうおっ母様だが、

 「おや、シチさん。」
 「さっき久蔵さんと一緒だったろう。」
 「やっぱり目立つねぇ、美人さんが二人も居並ぶと。」

 商店の並びの一番手前に軒を張り出している、金物屋さんのおかみさんが、随分と年季の入ったうちわを振り振り、まずはと気さくにお声をかけてくださり。そんな彼女と何やら喋っていたのだろ、お隣の魚屋のおかみさんと八百屋の先代おかみとが、あらまあとにこやかなお顔を向けて来る。あまりに飛び抜けて“異質な”存在だと、いくら綺麗であろうが物腰が丁寧穏やかだろうが、はたまた、受け止める側がどれほど気さくでざっかけない気性の皆さんであっても、何とはなく一線引かれたり緊張感がなかなか抜けなかったりするものだが、金髪に青い目という日本人離れした配色の容貌も、よくよく見ればさほどバタ臭くはなく。むしろしっとりと嫋やかで優しい。そこへ、笑顔を絶やさぬ、穏やかな物言いや態度が相俟って、あっと言う間に馴染んでの早10年も経っておれば、

 「そうそう、カマスの一夜干しが入ってるよ?」
 「勘兵衛さんがお好きだろ?」
 「あ…はい。///////」

 それは気安いお声もいただける間柄になっているほど。そして、特に含みがあってのお薦めでもなかったのだろに、あまりに不意な間合いにその名を出されたものだから。ドキンと胸の奥で何かが弾んだものの、

 “…勘兵衛様。”

 昨夜、何だか意味深な夢を見てしまったことまでも、ついつい思い出してしまい、重症だなとの自覚が七郎次の喉奥を締めつける。勘兵衛はその身分ゆえ、重い務めであればあるほど、単独任務となるものが多い。

  ―― 証しの一族の“絶対証人”

 歴史上のすべての事実、真実のみを記載して来たとある“書”の番人であり、地上の数多ある組織すべてへ、その顔が…存在の名が利くのも、公にはされないものも含めて、あらゆる事件や騒乱の真相を把握している身であるからで。疚しいところの全くない組織なぞ、まずはあり得ぬ困った世の中なればこそ。各々の組織の長たちは、倭の鬼神の名を畏れるし、はたまた頼りにもするほどで。そして…そんな彼が現れることが、その場に居合わせた誰かの裏切りの露見を示すとか、いやいや問答無用の皆殺しに値する死の宣告だ、とかいう誤解さえあるほどに、下辺の小さな組織へほど正確な身の上はあんまり伝わっていないこともまた。それすなわち、証人は一人だからこそ絶対という方針が続いておればこその厳しさでもあって。

 “辛くないはずがない、キツくないはずがないのに…。”

 どんな務めも飄々とこなして見せる、強靭な体と強靭な精神力とを持ち合わせ。何となれば情のない冷酷さや残酷さをまとってまで、誰にも弱みなぞ見せずにいる豪胆な人。そうまで雄々しく頼もしい御主が、唯一の人らしい情や我儘を、この自分へだけと限って吐露し、そそいでくれていることが、

 “……。//////////”

 畏れ多いやら面映ゆいやらだよなと。そう、最近やっと、落ち着いて噛みしめることも出来るようになった七郎次であり。ただただ大切にされることへ、身の置きどころがないかのように おろおろと戸惑ったり困ったりしていた頃よりは、こちらも肝が座って来たということだろか。

 「それにしても、昨日の活躍は大したもんだったよねぇ。」
 「…………は?」

 微妙に“浸って”いたところを、おかみさんたちの“やぁねぇもうvv”というはしゃぐような声音で揺り起こされて、一瞬、何の話かとその目が点になりかかった七郎次だったが、

 「ほら、昨日の酒屋さんへの。」
 「強盗取っ捕まえた あれよあれ。」
 「あ………。」

 そりゃあ嬉しそうな声音で付け足され、ああそうだったと思い出す順番なほど、七郎次の側としてはさして大きな出来事ではなかったらしいが、

 「コンビニ強盗とか聞いちゃいたけど、
  ウチみたいな商店街には無縁なもんだって思ってたからねぇ。」

 金物屋さんがある側とは逆の、大通りに接している側の商店側の端にあるのが、最近改装なさって新装開店したばかりの、一見コンビニと見紛うかも知れぬほど小ぎれいになった酒屋さんで。そこへと…マスクにサングラスという装備で飛び込み、サバイバルナイフを突き出して、レジにいた三代目の嫁を脅して金をせしめた強盗が出たのが、つい昨日の昼下がり。商品棚の陳列をしていた息子さんが追って来たのへ、ナイフを振り回しての抵抗を始めて、周囲へも巻き添えの怪我人が出そうな状況となったのだが、

 「そこへ飛び出して来て、映画の格闘家みたいにひょいひょいひょいって。」
 「そうそう。ナイフを跳ね上げさしての懐ろへ飛び込んで。」
 「あんなに小さく体を丸められるんだねぇ、
  あっと言う間だったからそう見えたのかな?」

 畳み掛けるようなとは正にこのことという見本のような、そりゃあてきぱきとした対処だったのを、あんな修羅場の出来事だったってのに冷静に見ていた女将さんたちも大したもんで。勝手に追い詰められての恐慌状態にあった賊だったので、浮足立ってる間に素早く畳んでしまえばいいと見越した七郎次。ナイフを握っていた手を真下から不意を突くよに跳ね上げながら、その間合いの中へと飛び込んで。うなじへ束ねた金の髪の房を跳ねさせつつ、身を低く縮めてバネをため、ガードの甘い顎を真下から掌底使って一気に突き上げ、あっと言う間に昏倒させた手際のよさへは。手に汗握って見守っていた皆様からの、打って変わっての拍手喝采をいただいたほど。今もそれを話していたんだよと、からからと笑ったおかみさんたちへ、いやぁお恥ずかしいと頭を掻いて見せた七郎次だったが、

 「あれほどのお手柄だったのに、
  どっこの新聞にも載ってなかったのが口惜しいねぇ。」

 「………………ぁ。」

 何も全国紙の第一面とは言わないサ、ここいらの地方の事件を扱う面とか三面記事とかで、扱われてもいいよな格の事件だったのにサ。そうそう、お巡りさんじゃあなく刑事さんとやらが来てて、事情聴取ってのもしたんだろ? ケータイで写真撮ってた子も一杯いたからさ、つい…何とかってので紹介されたの読みましたっていう記者が、駆けつけてもいいはずなのにねぇ、と。結構今風のメディアにも通じてる発言まで飛び出しての、残念だねぇ、いやいやワイドショーとかの取材は少し遅れて来るからねぇなんて、我がことのように はしゃいでおいでなの、

 “……あはははは。”

 眉尻下げての困ったもんだという苦笑にて、見守るしかない七郎次だったりし。ついのこととて身体が動いてしまった末の武勇伝だったが、事情聴取が終わってさあ帰ろうと仕掛かったところを、まずは…見覚えのあるボックスカーでお声をかけられ。それに乗っていた久蔵から、怪我はないかと無言の凝視で案じられ。高階さんが運転するその車で戻った自宅では、こちらも予定外の時刻に早々と勤め先の商社から戻っていた勘兵衛から、この跳ねっ返りがと軽くながらも叱られたのだ。こうまで速やかに情報が伝播していることへも驚いたが、

 『まったく無茶をする。』
 『…すみません。』

 目立つことをしちゃ いけませんよね。島田の人間の基本ですのに、と。そっちを謝ったら、

 “久蔵殿にしがみつかれて、勘兵衛様からは…。///////”

 顔を覗き込まれつつ、おでこをつんつんとつつかれた。考え違いをしておるぞという意味であったようで、
『怪我がなかったのは良かったことだが。』
 破れかぶれになっている人間は、時として想いも拠らない動きをするもの。どんなに素人が相手でも、それだからこそという怖い結果を招きもするのだぞと、実践を山ほどこなしておいでの身なればこそという、重々しいお言葉をいただいてから、

 『それに、お主のように綺羅々々しい見栄えの者は、注目されるとキリがない。』
 『………………は?』

 先だっての騒ぎのように、見知らぬ者から岡惚れされて、その挙句、攫われてしまったらいかがするかと。何が大仰か、お手柄美青年とかいう取材をされてみよ、そのまま、あっと言う間にマスコミに追い回されかねぬと、そんな言いようを大真面目に述べて見せ。万が一にも新聞やネットへ掲載されぬよう各社のデスクへ釘を刺しておかねばと、どこまで本気か携帯取り出しまでした御主だったりしたのを思い出す。いかめしいお顔に厳しい表情を載せ、どこの重役との取引でしょうかというほど、そりゃあ真摯な様子で扱う話じゃありませぬと。もしかしたらば煙に撒かれたのかもしれない、そんな形で幕を下ろした一件だったので。記事がどこにも載らなかったのも道理だし、これからだって握り潰されるに違いなく。とはいえ、そういうお手間をかけさせぬことこそが大事なのであり。

 “……うん。反省反省、だな。”

 普通の人たち以上に“普通”を意識してなぞらなければならない身。それを噛みしめ直した一件でもあったなぁと、そんな感慨をあらためて胸に刻んで、さてとと。今日の夕飯のお買い物はと魚屋さんの店先を眺め、いさきのいいのを三本とカマスを求め。八百屋さんではナスとピーマン、トマトをいただき。さあ帰りましょうかと回れ右をしたのだが。


   それは突然やって来た。







 湿り気の多い大気じゃああったが、雨催いを予想させるような気配まではなく。空の色合いもどちらかといや明るい方だったのに。それが一転、すうっと辺りが鈍色に染まってゆき。建物の壁なぞは明るいのに、その向こうの空が妙に照度を落としての暗くなったかと思うや否や、ぱら…ぱたぱた・ぱららっという堅い音がし始めて。それと気づいた反応から、え?と空を見上げたのとほぼ同時、一気に ざんっ という、叩きつけるような勢いの雨が落ちて来たからたまらない。かんかん照りの空に積乱雲が沸いてというような、それなりの前触れなぞが全くなかった突発事であり、

 「うあっ!」

 最近話題の、都心をも襲うゲリラ豪雨とやらも、今のところは他人事だったほどで。こんな規模の雨に遭うのは随分と久し振り。波板や樹脂の庇なんてないというに、雨脚の音が物凄く。会話がついつい大声になるほどだし、見る見ると水が溜まってゆく路面を更に白く蹴立てるほどの雨が叩きつける様が、正しく豪雨なのへ。

 “…傘、買った方がいいのかな。”

 通り雨かもしれないし、少しほど雨宿りして様子を見ようか。でも、鮮魚を買ったのであんまり長くうろうろも出来ない。確か途中にコンビニがあったから、そこまでを何とか庇の下を渡り歩いて雨宿りしながら帰ってみて。まだ降っておれば、しょうがないから傘を買おうと。ささっと段取りを決めての うんと踏み出したそのまま、そこの道幅だけは天蓋のない通りを渡って、向かいの雑貨屋さんの庇に至る。ここからしばらくほど、通りに沿って住宅街のほうへとお店屋が連なっており、その庇が結構続くのだが。中には同じように思った人が立っている庇もあるので、長居は出来ず。急ぎ足で進むうち、雨脚が弱まってくれれば良かったが、あんまり大差は無いままなのが小憎らしい。急ぎ足だが要領は心得ているので、ズボンの裾への跳ね上げもないままに。たかたかと駆けて駆けての辿り着いたのが、コンビニの庇を目前としたマンション前。あ〜あ、やっぱりダメみたいだなと、無駄遣いはしたくないけれど、この激しい雨に濡れてしまうというのもいただけぬ。しょうがないなと一旦止まっていた足、再び運び出しかけたその間合いへ、

 「やあ。探したぜ、別嬪さん」

 馴れ馴れしい声掛けと同時、いきなり二の腕を掴まれた。長く武道に親しみ、それなりの心得がある身だというに、途轍もない雨脚のヴェールがかかっていたとはいえ、こんな街なかでひょいと掴まえられてしまうなぞあり得ないこと、いやさ、あるまじきことだと。ギョッとしたのと同じほど、ムカッと来もした七郎次。人を食ったような物言いも癇に障ってのこと、簡単な体術の応用、腕を振ることで引き離そうとしかかったのだが、

 「サネオミさんチの厄介者。シチローくんだよな。」

  ………………… !

 こそりと、間近に寄った口許から放たれたその一言が、七郎次の身と心とを一瞬で凍らせてしまう。忘れ去ったはずの忌まわしい記憶が、胸の奥底から頭の裏側から黒々と這い出して。霞を払うように輪郭もすっきりと、その残酷な姿を現すと、心の逃げ場を塞ぐよに、途轍もなく大きな嵩でもって、覆いかぶさっての迫り来る。

 「    ?  で、やっと   」

 相手の声が、言葉となって聞こえないのは、相変わらずにけたたましい雨脚のせいではなくて。堅く蓋したまま封じていた悪夢のような思い出の痛さへと、心底怯えていた七郎次だったから……。

 『てめえのせいで恥ぃかかされたんだとよ。
  また ぎゃあぎゃあ泣くようだったら、
  その口をぶっとい針で縫い留めちまうぞっ!』

 子供でなくとも身がすくむような、残酷な罵倒の声がそれはリアルに蘇って聞こえ。手荷物を取り落とし、そのまま自身の胸元、シャツを鷲掴みにする七郎次である。






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 *島田さん家を見守る“草”の皆様は、
  シチさんが狙われたあれよりも、
  もっと早い目に配置されてなかったかとのお声がありましたが、
  シチさんが“常駐となったらしいな”と気がついたのが
  アレ以来ということで。
  言葉が足りなくてすいませんでした。

 *何だか痛い話になりそうです、すいません。
  何でこういう話を思いついちゃったのかなと、
  今更思ってもおりますが、
  これもまた、鳧をつけときたいお話ではあったので。


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